2007年8月12日
列 島 横 断





海から海を結ぶため、家から自転車をサポートカーに乗せて臨海公園近くのTEAM HAYASHIの練習コース集合場所で組み立て始める。
これから始まる走行は困難を極めることはこのときにはまだ知らない。とはいっても、プレッシャーで前日から満足に食事が喉を通らない。今回、というかもうこれっきりやらないが、横断にあたり車のサポートをつけた。すべての荷物は車に積み身軽で行く。

20代最後というあいまいな理由からの挑戦、自転車で新潟県直江津を目指す。
ノリさんも通った道だ。
今までの自己の最長の走行距離は200Km、それをさらに120Km上回らなければならない。日本海に沈む夕日を眺めるために、時間に追われ、体力を消耗していく長い一日がここから始まった。

行程を簡単に説明すると、千葉街道から小松川で14号に入り、神保町で17号に入り、高崎で18号に入る。
直江津までは18号が通っている。臨海公園から高崎、高崎から長野、長野から直江津。3分割したそれぞれが約100Km程で目安となる。道順はシンプルである。

まずは第1ラウンド臨海公園から高崎まで。
サポートカーの運転も夜の車の少ないうちの方が楽だろうし、自転車もストレス無く走れる だろう、1番の理由は時間的都合だが、関東平野を抜けるために出発を真夜中にした。最初で元気があるということもあり、時速は30〜40Kmで14号、そして後楽園前を越え て、戸田橋を越えて、大宮を越えて、ただひたすらまっすぐに飛ばす。
上尾、桶川、鴻巣と進み熊谷を通過したのが午前3時30分。自分の嫌いなただひたすらまっすぐの道を走るのみ、熊谷、深谷、本庄、上里と新幹線に乗 ったとき良く聞く地名が次々と通り過ぎていく。
少しずつ夜が明け始めて、高崎につく頃には午前5時45分、周りはすっかり明るくなった 予定では高崎を早くて6時に通過するかなと思っていたので、ペースはなかなか理想的だ。ここまでは暑さも問題ない。

自分は補給が下手なので、平地で疲れに気づかずに手遅れに・・・なんてことにならないよ うに、腹が減ろうが減るまいが1時間おきにゼリー状の補給食か、アンパンを食べるように> そして3時間おきに濃縮タイプのパワーバー、べスパなどの補給を取った。
基本的に自転車が先行し、車が追尾する、そして車が自転車を追い越して適度な距離を走っ たら路肩かコンビニに止まり自転車を待つ。
その繰り返しで、車と自転車との連絡方法は近い距離を走っているときは無線、離れてしまったときは携帯でとった。
欲しい食べ物を無線で伝え、止まっている車から補給を受け取り、受け取るときだけ止まってすぐ走り出す。
風景が見えない闇の中を前半重視とばかりに先へ先へと急いだ。

第2ラウンド高崎から長野。今回全体的に走りにくいと感じた道はなかった。
国道だから道幅も広く、車もめちゃくちゃ多いわけでもない。高崎から18号に入って、もう走る気力はなくなっていた。
走りやすいが単調で変化のない道がそう思わせたのか、道路の標識の長野まで100Kmが そう思わせたのかわからないが心に力は入らなくなっていた。
それでも時速25Kmを下回っては時間の計画がずれてしまう・・・ とかも考えられなくなっていた。安中でのセブンイレブンのこと。
ただ思うことは本州横断を打ち明けた人たちへのメンツだけ。
横川から碓氷峠に入れば状況も変わる、気持ちも切り替えられるかもしれないと漕ぎ出す。

30Km程走ると岩肌が露出する妙義山が見え始め、碓氷峠の入り口にある釜飯屋に着く。
食欲はない。釜飯は食べない。



さてここから最初の峠らしい峠へ入る。ルートは2つありバイパスと旧道。今回は助言を受けたとおりに旧道を進む。ここにロードが1人。自分に気づかずにバイパスのほうに消えていきました。

碓氷峠の後半は疲れと空腹のためかペースは落ちたが、前半は緩やかで飛ばせるくらいの上 り坂だ。
湖や橋など知ってる景色もあり、次の写真が有名なやつですね。



ここで写真を撮るために車が停車すると車は瞬く間に5.6匹の蜂に囲まれました。
近くに巣でもあるのか?明らかに威嚇。碓氷峠を越え軽井沢に。同時に群馬から長野へ。



ここで休憩。蜂はもういないだろうから。ここまでくれば気力も回復。行くしかねーだろ!
小諸を目指して食欲は無いながらもマックの駐車場で車のハッチバックに座りながらパンを食べることに集中。



軽井沢に程近い物見山は武田晴信が村上義清と対峙したときに陣を張った場所である。
その上田原の合戦で武田は重臣、甘利虎康と板垣信方を失う。このほかに真田の郷や小諸城、上田城、川中島など通り道には山梨生まれの自分には興味深 いところがたくさんあるが。何しろ今回は見学する余裕なんてものは1つもありません。

軽井沢を出て小諸、上田までは下りがいくつもあります。4〜5%くらいの下りなので時速は60は出ます、追尾する車がなかなか追いつかないなん てこともあった。上田までは30Kmぐらいだろうか。
上田を越えて、千曲川のほとり坂城で午前11時30分。ついにサポートカーの運転手が睡魔から逃れられなくなり、昼飯1時間の休憩とすることに しました。運転手はリクライニングを倒すとそのまま眠りについた。


自分も昼を軽く食べて同じく少し睡眠をとる。
外は快晴、気温も高くボトルに入れたCCDを水に入れ替え、首や足にかけながら進まない と信号で止まったときなんかはオーバーヒートしそうだ。帰ってから天気予報を見たが、この日は全国的に猛暑、35度を越えていたようだ。
まあ、知ってたけどね。暑かったもん。
千曲川の流れは雄大で、鮎つりの人が5,6人、周囲には山々。綺麗な風景には事欠かない



長野までは4.50Kmというところでしょう。平坦で灼熱、身を焦がす道をただひたすら前へ。
少し複雑になると思った長野駅周辺の道も18号の矢印に従い道なりに迷うことも無く2時 間30分くらいかけてアップルラインの赤沼PAに辿り着きます。ここはトイレと駐車スペ>だけで自販機も無い、しかも車が渋滞にはまり自転車が大幅に先行してしまい、財布す ら持ってない自分は日陰にじっと座り込み、お湯になったボトルの水を飲み続けるしかなか った。 やがてその水も尽き、もうだめかと思った。 到着したサポートカーから受け取ったカフェオレは美味かった。
この先浅野信号を越えて妙高に入るが、お尻も痛くどうにもフォームが崩れ始める。妙高の上りはがんばればいける程度です。がんばる力が残っていればの話ですが。
もう感想も何もありません、何も考えていません。野尻湖を越えたら、というか最初から最後まで足を回すのみ。長すぎるアップダウンをこなす。

まだ日も沈むには十分に時間がある。妙高を越えれば後は下りだ。途中道の駅により休憩。メロンが4つで2000円しない!
フルーツが非常に食べたい。



直江津近くで18号をそれ579号へ。
雁木で連なった街道を「へぇ〜」とよたよたと走りぬけ、いつしか標識に直江津の文字が。



走っていて気づいたが信号はどこも縦に並んでいる。



午後6時。もう先へは漕げない。



直江津中心部に迫り、駅の方向を示す看板に出会う。
サポートカーが南口に止まっていると連絡を受け、海側の北口ではなく南口の方向へ曲がる 。



新潟県、日本海側、直江津に到着。
夕日が沈むにはまだ少し時間がある。残念ながら波打ち際までは行けなかった。
佐渡に行くフェリーの港があり目の前にコンテナや建物で高いところからでないと海が一望 できるという感じでもない。
とにかく写真を撮り、到着の報告を。それから温泉につかりましょう。



腰も痛い、お尻も痛い、日焼けも痛い。目も焼けたみたいだし、ウェアーが擦れたところがあってそこも痛い。
時間18時間、距離320Kmの旅は終わったのだ。



近くにある上越の湯に向かう。
ぼろぼろの体に心地よい。仰向けに寝っころがって入る浅い湯船があり、全身が伸ばせて
最高である。



日本海に沈む夕日は普段と変わらない。昨日もまた明日もいつも通りに日が昇り、日は沈む。
太陽は少しはオレのことを見てくれただろうか?



次の日。
体は足も腕も筋肉痛、左足の付け根にたまに痛みが走る。昨日はもう自転車に乗りたくないと思ったが、今日は乗りたい。
実際には全休、体を休めるためにたっぷり寝ることだ。思えば11日の朝6時に起きて、なんだかんだ支度をして午後の7時くらいまでかかって、横になっても眠れず仮眠を1時間くらいとって夕飯になり、12日午前0時のスタートを迎えたので、寝なさ過ぎなのだ。

それと今回協力してくれた人たちの紹介です。
サポートカーを運転してくれた彼女の吉田さん。無線を提供してくれた学生時代からのバイクのツーリング仲間の井上くん。
全体的な情報を提供してくれたサイクルステーションハヤシさん。
走り終わってから身に染みました。荷物を持って単独で行ったらこの倍以上きつかったと思います。
今の自分には不可能です考えられません。皆さんの協力があってこその達成です。
また前もってこの計画を知らせることができなかった自分の周りの方々にはお詫びします。
自分には一か八かの賭けみたいなもので自信がありませんでした。

ありがとうございました。